yupi-yupiのこどもと自分観察日記

2児の母が日常をつらつら記録するブログ

育児本を好む私が、情報を取りにいく本当の意味。-自分軸と育児効力感-

育児本を読んだり、こそだてに関する情報を取りに行くことが好き。
そんな自分について、先日あった夫婦での出来事から
自分の行動の意味を深掘りしてみた。

 

私はいわゆる教育熱心な親ではないけれど

こそだてに関することについては比較的情報を取りに行く方だと思う。

 

SNSで流れてくるものをみたりはしないけど

専門家の話を聞いたり、本を読んだり、

そういうかたちで情報を取り入れている。

 

ちなみにではあるけれど、

先取り教育とかには興味がなく、お受験とか習い事とか、そういった情報には全く明るくない。

 

仮に私の興味をハッシュタグで表すとしたら

#こどもの可能性を引き出す

#主体性を養うこそだて

#自律

#にむけて親にできること

とかになるだろうか。

 

実際のところ

こどもとの関わりで、本当は怒りたくなんかないのに怒鳴ってしまうこともあるし(よくあるし)

この関わりで主体性は育たないってわかっているのに

感情的にこどもを従わせようとしてしまう自分もいるし

 

でも、ちがう。

全然しっくりこないって思う。

しっくりもきてないし、私が在りたいママはこんなママではない、とも思う。

 

さらに、たまにうまく対応がかみ合ったときには

こどもの反応が全く違うことを経験して、

先のしっくりこない感覚の正しさが証明されたりもする。

 

それで、そういったこそだて関連の本を読んだり、学んだりして

我が子や自分に合いそうなもので、取り入れられることは

実験的にでも取り入れて試行錯誤したりする。

それが楽しいので、私の趣味みたいなものでもあるのかもしれない。

 

ーきっかけのできごとー

先日、私がとあることを取り入れて見ようと思い

「こんなやり方があるらしくて、やってみようと思ってー」

と話すと

夫からなんだかシラケたリアクションが返ってきた。

 

別に否定されたわけではないのだけれど、

"またやってるゎ"じゃないけれど

温度差あるなーという反応。

 

うちの夫は私とは違い、こそだてに関して特に情報を取りに行くことはしない。

それは特に問題ではないのだけれど

そこで思ったのは

では、なぜ私はこんなに情報を取りに行くのだろう、ということだった。

 

当然、ハッシュタグのような、

こどもがよりよく成長できる関わりをしたい

というのはあるのだけれど、

それはきっと根っこの部分では夫も同じ。

じゃあ私は、なぜ?

 

私の中での答えは2つ

  1. 自分の軸を確かめる
  2. 育児効力感を得る

深掘りして、

この2つのことが自分の中から整理されてきた。

 

  1. 自分の軸を確かめる

こそだてって、こそだてするまでは到底遭遇することのないような、見たくない自分に出会わされる。

 

私ってこんなに短気だったの?

私ってこんなに器小さかったの?

私ってこんなに人と比べる人間だったっけ?

私って…

 

独身時代にも、夫婦だけの時代にも

向き合うことのなかった自分の一面。

知らずに生けていければどれだけ楽だっただろう。笑

 

そういうパンドラの自分に対峙しながら

自分の生き方、自分のこそだてにとって大事なものは何なのか。

自分が怒ってる、この根っこはなんなんだ。

この根っこは本当に必要なのか

とか

 

何を残して、何を手放していくのか

一つずつ自分の中の価値観を取捨選択して、優先順位をつけていかないと

その場の感情に振り回されてしまう。(ワタシの場合)

 

もしかしたら、その思考を助けてくれるものが

私にとって学ぶこと(情報を取ること)なのかもしれない。

 

2.育児効力感を得る

こどもがいる生活って

ごはんつくって、選択して、お帳面書いて、送迎して、お風呂入れて、

食器洗って、オムツ変えて…

忙殺されるような繰り返し。

おまけに、一生懸命やっても思うようにならないことはたくさん起きる。

 

自分がしている工夫、やっている量に対して、思っている結果にならない。

自分の中で自分の価値が消えかかる。

そういう子育ての中で、

一つでも具体的に何かをやってみて、こどもが変化するとしたら、

「あ、お母さん業、やれてるかもしれん」

とまた自分を認めてあげられるのかもしれない。

 

 

はじめ、このことを考えたとき、

夫は私ほど育児の中で、パンドラの自分をみる経験がないのかもしれない。だから私と温度差があるのかもしれない。

と思ったけれど、違うかもしれない。

母親だから、こどもといる時間が長いから、

みんなが感じることではないかもしれない。

 

家庭の外に、仕事やサードプレイス的なところで

確固たる「私」がいて、

そこで目一杯自分が発揮されている感覚が持てている人なら

子育ての中でそれを探そうとはしないのかもしれないな。

 

もしかしたら

私が無意識に、こどもに対してとか、母としての自分に期待をかけてしまったりしているところがあったりもして

そういう気負いみたいなものか軽い人の方が

育児効力感は勝手に高いのかもしれない。

 

だとしたら、もう少し力を抜いてもいいのかもしれない。

自分軸を確かめるためには、やはり学ぶことは続けていきたい。趣味のない私の趣味として。

 

 

何にしても、自分を知るっていうことは大切だよな。

 

 

 

#こそだて

#自分軸

#育児効力感

#自己効力感

 

繊細っ子平常モードに回復 〜運動会も一段落〜

運動会から約2週間くらいは

しばらく不安定モードで、朝の分離不安が続いたた。

 

その後、フーッと水中から浮き上がってくるように平常モードに戻り

スムーズに登園し、分離できるようになった。

 

 

習い事のプールも、送迎が祖母なだけに親としてはネックだったけれど

自由遊び遊ばない宣言(練習後10分程、自由遊びの時間があり、娘はそれが苦痛。)が受託されてからは

楽しく通っている。

 

しばらくは

「今日も自由遊びせんよ!」

「え、いつもしなくていいの?」

と娘の方からこちらの反応を確認してくる様子があったけれど

 

全く問題ないです。もし仮にコーチが 今日も? と言ったりしても、

うん、ママがそれでいいと言いました。これからずっと見てるだけでも良いって言ってたと伝えればいいよ

と言うと

 

ちょっと意外そうに、でも安心して

プールに行き、楽しんで帰ってくるようになった。

もちろん送迎のばーばも協力してくれた。

 

夫が娘に 次は絶対行くように!行かなかったらテレビなし!的な通達をしているのを見て

私としてはズッコケそうになったりもして

考え方の違いに度肝を抜かれたこともあったけど

ひとまず娘の拒否の要因の一つがうまく解消されて一安心。

 

夫婦の考え方の違い 

については

基本的に私がほとんどこどもの送迎をしていて

窓口も私で、

夫が行き渋りの対応をすることはまれなので

約束 や ご褒美 や 強制

だけでは解決されないことが

想像しづらいのではないかなと今は感じている。

 

たとえば無理矢理に車に乗せたとして

どんな反応になるか、

それがどれだけ強いエネルギーなのか

 

それは経験しないと、体感しないと

わからない部分もあるだろうなと。

私自身、日々迷いながら試行錯誤し、

すごく後悔したり、手応えを感じたりした部分があると実感しているから。

 

子育て本に載っていること、

自分がこうあるべきと思っていること、

理想、

一般常識、

それが目の前にいる我が子に当てはまるとは限らないし、

当てはめる必要もないのだろうし。

 

もちろんそうした知識が道標になったり

手がかりや支えになるのだけれど、

結局は

目の前の我が子の反応を確かめていくところにしか答えはない。

 

 

子育ては実験と検証と聞いたけれど、

できれば親の方も楽しんで実験と検証をしたいものだ。

楽しんで…。

運動会のその後〜分離不安は続く〜

運動会が終わった

 

運動会の直前まで別れを渋る様子は続いた。

 

でも、運動会に対する拒否感はあまりなく

跳び箱も頑張って練習していたし

もうすぐ5段が跳べる!と嬉しそうにもしていた。

 

結局長女のメンタルのことも考えて

本番は自信を持って跳べる4段を跳ぼう

と先生が言ってくれたようで、

本人もそれをナチュラルに受け取っているようだった。

 

運動会当日も、スムーズに競技は進み

長女は保育園最後の運動会を終えた。

 

見られるの緊張する〜

とも話していた割には、落ち着いて跳び箱を跳び

他のお遊戯なんかもとても楽しそうにやっていた。

 

ひとつ荷を下ろせた感じなのか、

ケロッとした様子の長女は、特に運動会の感想を多く語ることもなかった。

 

でも、ブリッジがとてもキレイで驚いたよ!

と写真を見せながら伝えると

嬉しそうに穏やかな笑顔を見せてくれた。

 

 

運動会が終わって1週間。

まだ分離不安はあった。

 

登園を嫌がることはないものの、

別れ際になるとスイッチが入ってしまう。

 

みんなのいる部屋に入ろうと思うと

急に尻込みしてしまう。

 

私も最後まで見届けずにもっとサラッと別れればいいのかもしれないが、

そのあたりの塩梅が難しく、心配性のお母さんに見えているかもしれない。笑

 

 

運動会前には、同時並行して習い事のプール教室への行き渋りも発生。

仕事の関係で毎回ばーばが送迎してくれているけど、

朝からプール行きたくないと言い、

プール行きたくないから保育園行かないと。笑

お迎えに来てくれたばーばを蹴って暴れるので連れて行かれず…ということもあった。

 

その後、初めて私が送迎することができたが

その日は到着してから長いことトイレにこもっている間に開始時間を過ぎてしまった。

 

すると時間に遅れたことを気にして入るのを嫌がり、泣いて抵抗。

スタッフの先生も気にかけてくれた。

ゆっくり気持ちを聞いていくと、

〇〇がイヤ と言う。

本当にそれがイヤなの?と聞くと、首を横に振り、わからん と。

 

わからん たぶんそれが正直な気持ちなんだろう。

 

しばらくしてから、自由遊びがイヤだと言うので、

自分でもよくわからんけど、とにかく自由遊びはイヤなことの一つなんだね?

 

と言うとうなずく。

そうか。

 

それをコーチに伝えることにして

ようやく着替えて参加できた。

 

始まってしまえばちょちょくりあってお友達と笑顔ですごす娘。

でも最後の自由遊びは、コーチが本人にも気持ちを確認してくれ

みんなが遊ぶプールサイドで、娘は座って見ていた。

 

自由遊びは、本当にTHE自由で

娘にとっては、誰と何をすればいいか決められず落ち着かないのかもしれない。

 

保育園みたいに特定の仲良しがいれば、楽しみな時間になるのかもしれないけれど

グイグイいけない我が子にとっては心もとないのかな、と想像する。

 

とにかく、コーチに自由遊びがイヤだと伝えて、

それをコーチも無理強いせずに受け入れてくれる

ということが一応体験的にわかり

少しホッとした様子の娘。

 

繊細な長女の気持ちが、割と想像できるからこそ

少し過保護よりになっている自分もいるように思うし、

この子が離れられないのは私のせいか?

と思うこともある。

 

相互作用なのだろうけれど。

 

園でも習い事でも不安を見せ、家の中でもママ、ママだと

なんだか疲れてしまう自分もいて

渦中にいるときっと見えていないものもあるんだろうなーと思いながら

これを書いている。

 

 

先日、晩ごはんのメニューが

鮭のクリーム煮、チンゲン菜と卵のスープ、里芋の煮ころがしで

夫に「今日のメニューすごいな」とつっこまれた。笑

 

和洋中とりそろえました。

 

そやねん、私の頭の中こんな感じ。

 

書くことで、頭と心の整理をしよう。笑

 

 

 

 

 

運動会前の登園渋りーその2ー

運動会まであと一週間

 

あれから毎日長女の不安定は続いている。

 

朝リビングへ起きてくると「頭痛いー」と言い

「保育園行きたくないー」と言う。

 

頭は痛いのかもしれない。たぶん痛いんだろう。

でも 転園した後のように、 何としても行かん という強い意志はないようで

そう言いたいだけなのか

日によっては、言葉とは裏腹にササッと身支度を済ませていたりもする。

 

問題は保育園に着いてからだ。

 

日によっては、朝の玄関でのあいさつ(先生が爪の長さやケガの有無をチェックするやつ)を嫌がって後ろにいつまでも隠れていたりするし

 

そこがうまくクリアできても、ずーっと私にまとわりついてしがみついていたりする。

 

それがなくても、とにかく最終的に別れられず大泣きする。

しがみついて、服やスマホの紐を握って離さない。

 

先生がサラッと頼み事を伝えたりして気が紛れて行けてしまうこともあるけれど、

それは稀な話で、ほとんど毎日泣き泣き別れる。

 

ある日は娘の方から、「手にドキンちゃん描いて?」と言うのでお守りのように描いて行ってみた。

 

またある日は、スポーツ選手がやるようなアルプス一万尺みたいなハイタッチを2人で考えて

それを別れ際に毎日やることも試みた。

 

ある日は、友達に見せたがってハッピーセットのリカちゃん人形を持っていった。

 

けれど

今のところ、何かうまくいった感じは…ない。

むむむ。

 

別れるとなると私の服をつかんで、しがみついて、やむなく引きはがされて ワーーン と泣く。

 

3歳の子みたいに泣く。

絵本だったら左右に涙がひょんひょん飛んでる絵になる感じで

大きな口を開けて泣く。

 

年少さんや年中さんが、ポカンとその大きな3歳児を眺めて、

どうしたの?と聞いてきてくれたりする。笑

 

別れた後の保育園では、日中の活動は友達とケラケラ笑って大きな問題はないようだけれど、

 

迎えに行くとスイッチが切れるのか、

逆に入ったというのか、笑

些細なことで機嫌を損ねて泣いたりもする。

 

今から遊ぶところだった!迎えに来るのが早すぎるとすねて私を蹴るとか

(えーあんなに別れを惜しんでたのに?)

だれそれと一緒に帰りたかったのに!と怒る。

 

そしてひとしきり泣いたり怒ったりして

なにかのきっかけでケロッと、なかったことのようになり、車に乗ってほとんど機嫌よくおかあさんといっしょを観る。

 

感情ジェットコースターか。

ぶつけられたイライラを、こちらの方が引きずってしまう。

 

 

ー跳び箱練習ー

本人の目標は運動会で6段を跳ぶこと

なのだけれど、まずは基本の4段を練習している。

 

6段を跳べるのはまだクラスの数人の精鋭たちで

憧れも大きいらしい。

 

跳べるようになりたいけれど、跳べない現実に

挫けそうに、後ろ向きになってしまう様子の娘。

特に朝はその気持ちに支配されやすいみたいに見える。

 

そうかと思うと、昨日の迎えでは、突然ポンと

「5段跳べたんよ!」とケロッと達成してみせたり

自信をつけるのも、なくすのも、日々忙しい。

 

晩ごはんで大体

6段跳べるようになるかなぁ?運動会までに跳びたいのに跳べなかったらやだ!と言うので

 

私もどう声をかけたものかと日々迷う。

 

本人がだれより自分にプレッシャーをかけてるように思えて

今のところは、運動会までにできなくてもいいでしょという軽いスタンスだったり、

がんばっているプロセスやあきらめない気持ちにフォーカスしてことばをかけるようにしているけれど

 

もっとシンプルに応援してもいいのかもしれない。とも考える。

シンプルに一緒に特訓してもいいのかもしれない。(多少家で馬跳びしたりくらいはしているけれど)

 

でもなんだか、そうなれない私もいる。

プレッシャーをかけてしまうのがこわいと感じている私もいる…気がする。

と、これを書きながらちょっと気がついた。

 

私は娘に、跳び箱が跳べようが跳べまいが、

頑張ってる自分に気づいてほしいと思う。

 

悔しくて、挫けそうになっても、

やっぱり挫けずチャレンジしている自分を認めてあげてほしいと思っている。

 

でもたぶん娘は

そうゆう中間的で曖昧なものじゃなくて、

できた!とか、目に見えてすごい!みたいな

合格をもらいたいんじゃないかと思う。

 

「〇〇くんは6段跳べて300点って言われてた」と言う話の端々から、

自分もすごいって言われたい!ほめられたい!

という気持ちを強く感じる。

周りの人たちに認めてほしいんだろう。

 

自然な気持ちなんだろうけど、

他人の評価より、もっともっと大事なことがあるんだと知ってほしい…

 

だから私は、シンプルに特訓的な後押しをできずにいるんだと思う。

 

 

さて、このイベントで長女は何を感じて

どんな自分をつくっていくのだろう。

運動会の後も、娘観察は続く。。

 

 

 

おてて絵本は おてあて絵本?

元気がなくなった長女が、一山越えた頃によくリクエストしてくるのがおてて絵本。

 

おてて絵本

は、そもそもは絵本作家のサトシンさんという方が発想されたもので

手を絵本に見立ててこどもにお話を創作してもらう遊びらしい。

 

我が家版のおてて絵本は、正確にはそれではなく

 

お話の作り手はたいてい私で、長女が聞き手。

 

保育園に行けなくなったり、心のエネルギーが低下しているときに不思議とリクエストされ、

寝る前の絵本の代わりにとても喜ばれる。

 

我が家流のツボをまとめてみると

  1. 主人公は娘によく似た設定
  2. お話の境遇もおおむね娘が体験していることと重なる設定(例.もうすぐ運動会、赤ちゃんが生まれたばかり等)
  3. だけれども、主人公の名前は別の〇〇ちゃん(くん)。途中で必ず「えー、これ私じゃん〜笑」とか「私はそんなこと思ってないよ」という指摘もはいるけれど、「そう?でもこれは〇〇ちゃんのお話だから」とあくまで絵本の世界の話として進める。

 

この基本のお約束(私の中だけの約束w)の中で、

私が娘の気持ちを想像しながらセリフやストーリーを進めていく。

 

大体は、こんな不安があったとか、さみしい気持ちだったけど上手く言えなくておこりんぼだったとか

そんなところから始まり、

気持ちが変化して前進したり、乗り越えたりしていくストーリーになる。

 

長女は「私はそんなこと言ってなかったけどね〜」とか

「あ、それ私と一緒やん」とか言いながらクフクフ聞いている。

 

途中で、"その時お母さんはこんなことを思っていました"

とか

"お友達はこんな気持ちでした"

とか挟んでいくと、それもまた発見にもなっている様子。

 

あまりお説教的だったり押しつけ的な内容にならないようにしておくことで、

逆にそういった気づきを促してくれるのかもしれないと思う。

 

登場人物の名前をありそうなあだ名にするのも

やたらと笑いを誘う。

 

いったくん とか、 たーくん とか、

みーたん とか、かっちん とか

普通の名前よりあだ名のほうが面白いらしい。

 

主人公のセリフにも情感をこめて、

ちょっと誇張して泣いてみたり、ぐずってみたりするのも自分に重なるからか

やたらウケる。

 

こんな感じで

我が家のおてて絵本は長女の心の浄化(⁇)と、親子のコミュニケーションにとても役立っている。

 

こども自身の気持ちが言語化されるし、

自分のことなんだけれども他人事として展開していくので、

気持ちが落ち着いて整理されたり、客観的な情報も捉えやすくなるような気がしている。

 

なによりこどもって、やっぱり自分のことが好きだから

自分の写真や動画をやたらとみたがるのとも似ているのかも。

 

とても良い効果があると思うんだけれど、

ちゃんと研究したら楽しそうでは?

 

我が子だけでなく、お話好きなら楽しめるのか?

他にもツボがあるのか?

データを集めてみたくなる…

 

さすがに小学生になると「The、私のことやん」

となってしまって嫌がるかもしれないけれど…笑

 

我が家流おてて絵本、

これからもしばらく活躍してくれると思う。

 

 

運動会前の登園しぶり

長女5歳。

2泊のお泊り保育を終えて、自信をつけて帰宅したのも束の間

 

もうすぐ運動会が待っている。

 

はい、始まりました

登園渋り

 

登園渋りは初めてではないけれど

その時々で理由が違えば対応も違い

 

送迎する親としては色々な意味でエネルギーを使う。

 

初めは原因がはっきりしなかったけれど

久々に朝大号泣。

おそらく人一倍プレッシャーを感じているのだと思う。

 

本人と先生の話から想像すると

 

まず、運動会に向けて練習が進み

1日のスケジュールに余裕がなくなってくる。

 

年長なので、園のリーダーとしての意識を高める声かけも増え

そのあたりの察知能力が抜群に高い娘(私調べ)は

大真面目にリーダーとして気を張って過ごす。

 

という感じで、

保育園生活が一気に緊張感を持っているのだろう。

 

さらに、跳び箱や雲梯など、難しいことへの挑戦もしなければならない。

 

今跳び箱4段がもう少しで跳べるところらしかったけれど

 

娘の方は失敗へフォーカス。

 

できるようにならなきゃ!先生ももうちょっとって言ってる…

でも頑張ってるのにまた失敗。

 

またできないのやだ…

できないくらいならもうやりたくない!

跳び箱イヤ!保育園いかん!

(以上、私の想像でしかないけど笑)

 

大人の思い以上に、自分で自分にプレッシャーをかけてしまってる感じなのではないかと。

 

先生の言うことは絶対

みたいな観念も、なぜか強く

 

勝手に何かを背負い込んでしまっているような…

 

 

娘にも話して、本人の状況を先生にお伝え。

 

居心地が悪いのか(伝えてほしいと言ったくせに笑)、娘はひゅ〜っと違う部屋へ行って陰から聞いているようだった。笑

 

最近、朝は分離が難しく

最終私の服を握りしめているのを、申し訳ないけど引きはがして泣き泣き別れる感じが続いているけれど

 

先生に伝えたことで少しはほっとしたのだろうか。

少なくとも母と先生、2人の味方ができたんだと思えていたらいいのだけれど。

 

んー別れ際はどうしたものか。

と思いながら答えは出ないのだけれど

 

しばらく様子をみながら

試行錯誤してみようと思う。

 

きっと乗り越えられると信じているし

 

乗り越えたときにはケロッと明るい顔を見せるだろうとも想像しているけど。

 

 

跳び箱挑戦は続く…

 

 

 

そんなこんなでブログを始めることにした

初めてブログを書くことにした。

せっかくなのでブログを始める経緯を残しておこう。

書こうと思う内容は、子育て真っ只中でこどものことばかり。

はじめは子育て日記的な意味合いで始めようかと思ったけれど

よく考えると子育ては私の一部であって、それが全てではないし、でも何を書きたいんだろう?と。


子育てという経験が私に与えてくれるものは、面積としても衝撃としてもとても大きい。

自分の中から出てきたのに、自分とは違う

ある意味、宇宙人的な理解不能さを持つこどもたちとの日々の中で

色々な笑いや涙があり

私自身というものを直視せざるを得なかったりする。


そうゆう日々の経験や考えのいったりきたりや

もやもやや、発見や学び

そんなことを文字に起こしながら整理できるかも。

そしてそれが、思い出として残るかな

という気持ちでつらつらと記録を残していきたいかも。

そんなこんなで、
そんなこんなが、このブログのテーマになると思う。