yupi-yupiのこどもと自分観察日記

2児の母が日常をつらつら記録するブログ

手作り賛否両論

わが家が通っている園は、

令和のこんにち昭和の香りを残している

市内でも大変ということで有名な園だ。

 

私はそんなこと知らずに

長女の育休から早く復帰せねばと思って、年度途中で空きを見つけて入園したのだ。

 

家も少し遠いので

入園すると、なんでここにしたの?と先輩保護者から聞かれる始末。笑

 

たしかに大変なことはいっぱいあった。

初めてなので、どこかと比べずにすんでやれてるところもあるかもしれないけれど

でも、

とにかくこどもが、いきいきと、楽しそうにすごしていて、今この時期に必要な遊びにしっかりとりくんでいるのがわかるから

園のことを信頼しているし、気に入っている。

 

そんな園では、当然のごとく手作りを求められることがたくさんある。

リュック、手提げ、パジャマ袋、ワッペン、エプロン、なわとび袋…

 

いやぁ…働いてるんですけどねぇ…

とぼやきたくなることは多々あった私だけれど

 

今日は

てづくりのことについて、思うことをつらつら書いておこうと思う。

 

 

てづくり 賛否両論

手作りの良さは言わずもがなだけれど、

最近は効率や時短も大切なワードだし、

手作りこそ正義みたいなことに物申す意見もたくさんみかけるなーと思う。

 

その手作りについて、私なりの個人的な答えとしては

その子にまなざしを向けて、耳を傾けて、心を寄せて

それができることが一番大切で

それありきの手作りする、しない、の選択

があると思う。

 

私自身の園生活の振り返りとしては

  • 手作りの指定がなければ絶対挑戦することのなかった裁縫は、なかなかハードだった
  • こどもとのゆったりタイムを削って取り組む必要もあって、本末転倒を感じることもあった
  • しかし!自分ではしないチャレンジの機会を与えられたことで、達成感や自信にはつながった。
  • 子育ての思い出がひとつ増えた

というのが個人的な感想。

 

だからといって、手作り大変だけど、結局良かったでしょ!という展開で

一律にそれを求めるというのは、なかなかキツイかなぁともやっぱり思う。難しいところだけど。

 

だって、私みたいな人はこんな機会がなければ手間暇かけないからな。

 

うーん。

つまりは、必要な手間暇と、省く手間暇を

自分で選り分けて

自分が頑張らないと決めたことは外注するとか、だれかに頼むとかして

自分が本当に大切にしたいこと、大切にしたい時間を大事にできるように

上手にのりこえていくことなんだろうな。

 

結局、自己選択なんだろうな。

 

なんとなくさせられてる

ではなくて

意識的に選択したいなというかんがえに至った。

 

次女のときにはそうやって

うまく自己選択して乗り越えていこうと思う。

できるかな。乞うご期待。

 

#子育て

#手作り

#手作り育児

#自己選択

 

自分の境界線ームクムク立ち上がったわたしのひこばえー

以前に書いた境界線の話からしばらく。

繊細な私が、美容師さんの「力加減どうですかー?」に初めて言えた話。境界線の話。 - yupi-yupiのこどもと自分観察日記

 

私の中でムクムクと

わたしが目を覚ました。

 

なんといえばいいのか、

やる気? 元気? 

これがしたい という 意欲。

 

それが おひさしぶり と片手をあげている。

 

長女を産んでから長らくお見かけすることのなかったそれが

数年の時を経て復活を遂げたようだ。

いや、復活なのだろうかこれは。

もしかしたら初お目見えだったりして。

 

泥水をザルで濾して

残った砂の中にヒョコンと芽が出た種を発見したような

 

 

上に積もっていたたくさんの雪がとけて

下で眠っていた たんぽぽがむくーっと起き上がるような

 

そんな感じ。

 

自分でもびっくりだ。

 

本を読みたいとか

片付けをしたいとか

このカフェに行きたいとか

 

そんなごく日常的な欲求というか、意欲なのだけれど

ムクムク湧いてくるこの感じは

これまでと全く違う。

 

こんな当たり前の欲求さえ特にないという人は

たぶん私以外にも結構いるのではなかろうか。

 

何が食べたいとかも 特になく

休日にどこに行きたいとかも 取り立ててはなく

誘われればいくよ〜 みたいなスタンスで

行かねばならない買い物に行き、

こどものために公園に行き、

残った時間でダルい身体を休ませる

みたいな。

 

なんとなく1日終わり、

特に何か成し遂げたわけでもないのに疲れている。

 

…文字にするとひどい。笑

 

そんな私だったけれど

最近 朝4時半に起きて

だれも起きてこない時間を独り占めして読書をしている。笑

 

早起きが楽しみなほど

本が読みたいモード。

 

そんなの生まれて初めてだ。

ハリー・ポッターの本に出会った11歳のときでさえ、夜更かしこそしても、早起きはしなかった。笑

 

 

私なりにこのムクムク現象を分解してみると、

たぶん周囲との境界線を引けるようになったことで

だれかの希望や期待とか、

それを踏まえた

やらなければならないこととか

やったほうがいいんやろな的なこととか

そういうものの勝手な流入にストップをかけることができるようになったのだと思う。

 

それから、流入によってまぜこぜになった諸々が波のない湖みたいに静穏になって、

不要なものは下へ寄り分けられて沈殿し、

自然と わたし が立ち上がってきたんじゃないかと

そんなふうに思う。

 

なんだか毎日とても身軽で―

文字通り 身体が軽い気がしている。

 

外的には

相変わらず仕事して、こどもたちのお世話して

ただそれだけなんだけれど、

身軽だからなのか、なんだか色々が楽しくて、軽やか。

 

あの気づきがこんなにも劇的な変化を、人生を左右しそうな変化をもたらすとは

本当にただただ驚いている。

 

素直に立ち上がってくれた わたし を

大事に尊重していきたい。

 

#HSP

#繊細

#境界線

 

 

繊細な私が、美容師さんの「力加減どうですかー?」に初めて言えた話。境界線の話。

今日は私自身の話。

 

私は人よりも敏感なセンサーを持ちあわせているようで
小さい頃から周囲の人の気分を察しやすく、影響されやすいという自覚がある。

 

良くいえば、よく気がつくし、観察力がある。

共感性が高くて、相手の気持に寄り添える。

ポジティブな状態の人といればつられてポジティブになり、自分の良さもありがたく発揮される。

 

逆に、ネガティブな気分の人といると自分も一緒になってしばらく沈んでしまうし

怒鳴り声とか、不機嫌な人が極端に苦手で

大きな声で怒る人の声を聞くと、自分とは無関係なのにキューーンと脳が縮むような感覚になる。

怪我の話なんかは最も苦手で、何の気なしに詳しく話してくれたりする人もいるけど

血の気が引いて貧血で倒れたこともある。

 

 

空気のハリ感でも測れるかのように

場の空気を感じられてしまう。

三半規管で感じるという感覚が一番近いかもしれない。

とにかく聞こえる音を無視できないのと同じように感じ取ってしまうから仕方がない。

 

数年前から急激に認知されるようになった、

いわゆるHSPとか、繊細とか、そういうものなのだろう。

 

20代前半までは友達からの刺激もたくさんあって、良い方に引っ張られていたし、

繊細がしんどくて鈍感力を磨くようになって

もともとの自身の気質はあまり気にならなかった。

だから、ちょっと脱皮した感があった時期もあったのだけれど

 

特に結婚して30代になり

新しい環境で、友達もいない。

そしてごく限られた人間関係しかもたなくなって、

その気質はますます強くなった気がする。

 

鈍感力を磨き上げたおかげで

一見こざっぱりした人に見えていたかもしれないけど、なるべくいろんな情報を無視しているだけ。

だから人と親しくなれない。

一匹狼な態度で傷つかないけど、孤独。

まったく裏目に出てもいた。

 

それを経て結局

これを言ったらこの人はどう思うだろう…といちいち考えてしまって雑談ができず

職場やこどもの保育園の人、義父母、親戚、近所の人、美容院、配達の人など

微妙な距離感の人と関わることに疲れてしまい

億劫なことがどんどん増えてきた。

 

訪問に来た営業の人を断わることもできない。

 

 

しかし先日革命が起きた。

 

美容院のシャンプーで、力加減いかがですかー?

のお決まりの問いかけに

「ちょっとゆるめでお願いします〜」と言えたのだ。

 

え、ささやかすぎる?笑

でも、これがすごい象徴的なことなのだ。

 

 

そんなのフツーに言えるよという人もたくさんいるのだろうけど

センシティブの申し子の私にとって

これは、小さな一歩で大きな革命なのだ。

 

 

-出会い-

心の変化は、ある人との出会いだった。

ラジオでその方の存在を知り、

色々な発信を見聞きする中でたくさんの気づきと学びをいただいた。

 

それをきっかけに

私はなぜこんなにも傷つきやすいのか、影響されやすいのか、

分解し、手中に収めて見られるようになった。

 

一番大きな気づきとしては、

私は境界線がひけない ということ。

引けていても、薄いというか、とぎれとぎれというか。

 

だから、自分が扱うべき問題と、相手が扱うべき問題をまぜこぜにしてしまう。

 

それで勝手に相手の問題まで想像して悩み、怯え、なにもできず一人苦しむ。

 

今回の美容師さんとのやりとりで言うと

私の素直な気持ちとしては、力が強すぎるなと思っている。

 

いつもの私なら、

これ言ったら美容師さんを嫌な気持ちにさせるかも とか ムッとされたらやだな とか、そもそも決まり文句として聞かれてるだけやし

などと思い、

我慢しておけばいいか、気まずいし、、と考える。

相手の領域の問題を、取り込みすぎている。

 

 

境界線視点を持てた私は

これを、伝えてどう思うか、感じるか、どうするかは相手の問題で、私にどうにかできることでも、すべきことでもない。

どういうつもりで相手が尋ねてきたかも、私が悩んだところで知る由もない。

 

私のすべきことは、

自分の気持ちに蓋をせず、自分の問題に対処すること。

だから、単純に自分の感じたことを美容師さんに伝える。

 

もちろん、相手をむやみに傷つけないように、伝え方の配慮はあった方が良いだろうけれど。

 

あとは美容師さんが心の中でムッとしたとしても、それはその人の扱う問題。ということ。

 

 

夫婦関係でも、

自分の気持ちを伝えて、相手が何を感じ、意見に耳を傾けるか、変わるか変わらないかは相手の問題。

私がするべきこと(できること)は、

気持ちや考えを伝えること。自分が行動するなりしないなりすること。

 

友達関係もそう。

例えば、アドバイスを求められたとして

聞き手がそれを受け取るかどうか、どう感じるか、実行するかどうか、それは相手の問題。

 

相手の問題というと冷たい感じがするかもしれないけれど

相手が扱うべきこと。相手の領分。

勝手にそれを担ったり奪ったりしてしまっては、健全で対等な関係にはなれない。

 

親子関係もそう。

…これに関してはまた改めて書こうと思う。

 

 

とにかく、

自分が思ったことというのは、
案外口にしても大丈夫なんや!

という、

大抵の人にとってあたりまえのことを感覚としてわかった気がした。

 

鈍感力を磨くというハウツー的なものより

もっと根本的な部分に気がつけた感じ。

 

このことは私の人生にとって大きな気づきと学びになると思う。

ありがとう、境界線というゴッドアイを手に入れた気分だ。

びくびく怖がりなダンゴムシから

ヤドカリくらいには前進できそうだ。

 

30代後半。

いや、40目前。

 

仲の良い友達とも遠くて会う機会も減り

挨拶を、交わす程度の人間関係。

子育てに追われて

すぐ寝てしまい、夫とすら話す時間は限られ

事務的なことしか会話に上らない。

 

これでは腐ってしまうな。

自分の中に蓄えてきた限られたものだけでやりくりする考えも会話も、とっても貧相だ。

 

だから、出会うということは本当に大切だ。

それが今回のようにラジオでも、本でも、知識でも、場所でも、芸術でも、体験でも、

もちろん生身の人でも

何かと出会い続ける人生はきっと豊かだ。

 

そんなことを感じた出会い。 

今年のうちに気づけて良かった。

 

#HSP

#繊細さん

#境界線

#人間関係

地図からみえる5歳のメガネ

たまたま5歳長女との会話をしていると

 

ばーばの家のエアコンがもう使えないんだってという。

 

どこにあるエアコンのこと?

と場所をたずねると

一生懸命説明してくれるのだが、

 

「まず右に曲がる、

そしたらあっちにまがって、そのあとこっち、の、ここ。」

 

おめめを斜上に動かしながら記憶をたどり、あちこち指さしながらがんばって説明してくれるのだが

わからない…

 

すると次は

 

「だから、ママから見たらこっちは左か。

じゃあ左に曲がって…」

 

と始まって、

いや、まってまって、ママがどこを向いているときの話?!笑

となった。

 

そんな会話がきっかけで、面白半分、

よく行く近所の公園までの地図を描いてもらうことにした。

 

「公園を知らないおばあちゃんにも分かるように」

とお願いして、会話しながら描いていく。

 

 

まず1枚目。

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家でっか。

 

目印は?と尋ねると、

えー、ここに木がある🌳と。

 

(木とくるかー、どこにでも木はあるからなぁ…🌳)

と思っていると

「ここに柿の木があるから」と。

 

なるほど、それなら少しヒントになるか。

 

曲がり角にヒントがあるとわかりやすいかなーと伝えると

 

2枚目(狭くて描けないと描き直した。)
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今度は1枚目より少し詳しくなった。

「車の線描いとこ〜」と車線を描いていく。

ディティールにいくとなると極端にディティールなのだな。

 

お次は

「犬の足跡を手がかりにしたらいいんじゃない?!✨」

と足跡を描く。

 

ムムム

もしかして、おしり探偵はじまってる?

 

足跡は雨が降ったら消えてしまうし、消えない手がかりがほしいなぁ

と言うと

 

少し家を描き足した。

 

(家もいっぱいあるからな〜)

と見ていると

レンガのアプローチも描き加えて(左の上側の家)

少し具体的なお宅の絵になった。

 

 

最終的な地図の出来栄えとしては、

公園を知っている私から見ても判然としない地図ではあったけれど

それはともかくとして

 

大人とは全く違う視点で

全く違うところにフォーカスして

物事を捉えているということがおもしろい。

 

5歳児のメガネ

 

それは「ワタシの頭の中の視点」

であって、

今のワタシからみたときに右か、左か、

であって

基準点は常にワタシの今と頭の中の"絵"。

 

ワタシに見えてる"絵"あなたもみえてるでしょう

が前提事項としてあって、

 

"あなたに見えていないもの"を想像しながら

そのギャップを埋めていくことは

まだまだ容易ではないのだなと。

 

まぁ、大人にだってそれは

うまくいかないこともあるけれど。笑

 

 

とにかく5歳の内側では

はじまり と おわり

今 と 目的地

その間を埋める脈絡が生まれているようだ。

 

まだその脈絡は

いったりきたりするし

急にミクロの世界に行ったり、個人的なエピソードに飛んだりする。

 

だけど、層が詰まったミルフィーユ目指して

確実に豊かになってきているようだ。

 

 

相手の気持がわかるんだ

と感じることも増えたけれど

まだまだ私たち大人のそれとは全く異なる次元の話で、

 

それはきっと、

こういうシーンではこうするのが優しさだって教わった!

というような1枚のカードであって

自在に扱えるような柔軟で立体的なものではないだろう。

 

私が5歳だった頃を思い出す。

 

毎日ポケットにガーゼのハンカチを忍ばせて

園庭で転んだり喧嘩して泣いてる子を見つけては

すかさずそのハンカチを差し出して涙を拭いてあげるのがブームだった。

 

フワフワのハンカチのほうが顔を拭くのにいいと思って

フワフワのガーゼを選んでいた。

かわいい動物たちがプリントされた4つ折りの白いハンカチ。

 

不純な動機の優しさ。笑

 

母となった私の

懐かしく、かわいい思い出。

 

だから、

大人の私のわかる と この子のわかる は違う階層だということに気をつけておこう。

 

それに気をつけておけば

むやみにわからなさを指摘することはしなくてすみそうだから。

 

#5歳

#子育て

#地図

 

 

 

 

育児本を好む私が、情報を取りにいく本当の意味。-自分軸と育児効力感-

育児本を読んだり、こそだてに関する情報を取りに行くことが好き。
そんな自分について、先日あった夫婦での出来事から
自分の行動の意味を深掘りしてみた。

 

私はいわゆる教育熱心な親ではないけれど

こそだてに関することについては比較的情報を取りに行く方だと思う。

 

SNSで流れてくるものをみたりはしないけど

専門家の話を聞いたり、本を読んだり、

そういうかたちで情報を取り入れている。

 

ちなみにではあるけれど、

先取り教育とかには興味がなく、お受験とか習い事とか、そういった情報には全く明るくない。

 

仮に私の興味をハッシュタグで表すとしたら

#こどもの可能性を引き出す

#主体性を養うこそだて

#自律

#にむけて親にできること

とかになるだろうか。

 

実際のところ

こどもとの関わりで、本当は怒りたくなんかないのに怒鳴ってしまうこともあるし(よくあるし)

この関わりで主体性は育たないってわかっているのに

感情的にこどもを従わせようとしてしまう自分もいるし

 

でも、ちがう。

全然しっくりこないって思う。

しっくりもきてないし、私が在りたいママはこんなママではない、とも思う。

 

さらに、たまにうまく対応がかみ合ったときには

こどもの反応が全く違うことを経験して、

先のしっくりこない感覚の正しさが証明されたりもする。

 

それで、そういったこそだて関連の本を読んだり、学んだりして

我が子や自分に合いそうなもので、取り入れられることは

実験的にでも取り入れて試行錯誤したりする。

それが楽しいので、私の趣味みたいなものでもあるのかもしれない。

 

ーきっかけのできごとー

先日、私がとあることを取り入れて見ようと思い

「こんなやり方があるらしくて、やってみようと思ってー」

と話すと

夫からなんだかシラケたリアクションが返ってきた。

 

別に否定されたわけではないのだけれど、

"またやってるゎ"じゃないけれど

温度差あるなーという反応。

 

うちの夫は私とは違い、こそだてに関して特に情報を取りに行くことはしない。

それは特に問題ではないのだけれど

そこで思ったのは

では、なぜ私はこんなに情報を取りに行くのだろう、ということだった。

 

当然、ハッシュタグのような、

こどもがよりよく成長できる関わりをしたい

というのはあるのだけれど、

それはきっと根っこの部分では夫も同じ。

じゃあ私は、なぜ?

 

私の中での答えは2つ

  1. 自分の軸を確かめる
  2. 育児効力感を得る

深掘りして、

この2つのことが自分の中から整理されてきた。

 

  1. 自分の軸を確かめる

こそだてって、こそだてするまでは到底遭遇することのないような、見たくない自分に出会わされる。

 

私ってこんなに短気だったの?

私ってこんなに器小さかったの?

私ってこんなに人と比べる人間だったっけ?

私って…

 

独身時代にも、夫婦だけの時代にも

向き合うことのなかった自分の一面。

知らずに生けていければどれだけ楽だっただろう。笑

 

そういうパンドラの自分に対峙しながら

自分の生き方、自分のこそだてにとって大事なものは何なのか。

自分が怒ってる、この根っこはなんなんだ。

この根っこは本当に必要なのか

とか

 

何を残して、何を手放していくのか

一つずつ自分の中の価値観を取捨選択して、優先順位をつけていかないと

その場の感情に振り回されてしまう。(ワタシの場合)

 

もしかしたら、その思考を助けてくれるものが

私にとって学ぶこと(情報を取ること)なのかもしれない。

 

2.育児効力感を得る

こどもがいる生活って

ごはんつくって、選択して、お帳面書いて、送迎して、お風呂入れて、

食器洗って、オムツ変えて…

忙殺されるような繰り返し。

おまけに、一生懸命やっても思うようにならないことはたくさん起きる。

 

自分がしている工夫、やっている量に対して、思っている結果にならない。

自分の中で自分の価値が消えかかる。

そういう子育ての中で、

一つでも具体的に何かをやってみて、こどもが変化するとしたら、

「あ、お母さん業、やれてるかもしれん」

とまた自分を認めてあげられるのかもしれない。

 

 

はじめ、このことを考えたとき、

夫は私ほど育児の中で、パンドラの自分をみる経験がないのかもしれない。だから私と温度差があるのかもしれない。

と思ったけれど、違うかもしれない。

母親だから、こどもといる時間が長いから、

みんなが感じることではないかもしれない。

 

家庭の外に、仕事やサードプレイス的なところで

確固たる「私」がいて、

そこで目一杯自分が発揮されている感覚が持てている人なら

子育ての中でそれを探そうとはしないのかもしれないな。

 

もしかしたら

私が無意識に、こどもに対してとか、母としての自分に期待をかけてしまったりしているところがあったりもして

そういう気負いみたいなものか軽い人の方が

育児効力感は勝手に高いのかもしれない。

 

だとしたら、もう少し力を抜いてもいいのかもしれない。

自分軸を確かめるためには、やはり学ぶことは続けていきたい。趣味のない私の趣味として。

 

 

何にしても、自分を知るっていうことは大切だよな。

 

 

 

#こそだて

#自分軸

#育児効力感

#自己効力感

 

繊細っ子平常モードに回復 〜運動会も一段落〜

運動会から約2週間くらいは

しばらく不安定モードで、朝の分離不安が続いたた。

 

その後、フーッと水中から浮き上がってくるように平常モードに戻り

スムーズに登園し、分離できるようになった。

 

 

習い事のプールも、送迎が祖母なだけに親としてはネックだったけれど

自由遊び遊ばない宣言(練習後10分程、自由遊びの時間があり、娘はそれが苦痛。)が受託されてからは

楽しく通っている。

 

しばらくは

「今日も自由遊びせんよ!」

「え、いつもしなくていいの?」

と娘の方からこちらの反応を確認してくる様子があったけれど

 

全く問題ないです。もし仮にコーチが 今日も? と言ったりしても、

うん、ママがそれでいいと言いました。これからずっと見てるだけでも良いって言ってたと伝えればいいよ

と言うと

 

ちょっと意外そうに、でも安心して

プールに行き、楽しんで帰ってくるようになった。

もちろん送迎のばーばも協力してくれた。

 

夫が娘に 次は絶対行くように!行かなかったらテレビなし!的な通達をしているのを見て

私としてはズッコケそうになったりもして

考え方の違いに度肝を抜かれたこともあったけど

ひとまず娘の拒否の要因の一つがうまく解消されて一安心。

 

夫婦の考え方の違い 

については

基本的に私がほとんどこどもの送迎をしていて

窓口も私で、

夫が行き渋りの対応をすることはまれなので

約束 や ご褒美 や 強制

だけでは解決されないことが

想像しづらいのではないかなと今は感じている。

 

たとえば無理矢理に車に乗せたとして

どんな反応になるか、

それがどれだけ強いエネルギーなのか

 

それは経験しないと、体感しないと

わからない部分もあるだろうなと。

私自身、日々迷いながら試行錯誤し、

すごく後悔したり、手応えを感じたりした部分があると実感しているから。

 

子育て本に載っていること、

自分がこうあるべきと思っていること、

理想、

一般常識、

それが目の前にいる我が子に当てはまるとは限らないし、

当てはめる必要もないのだろうし。

 

もちろんそうした知識が道標になったり

手がかりや支えになるのだけれど、

結局は

目の前の我が子の反応を確かめていくところにしか答えはない。

 

 

子育ては実験と検証と聞いたけれど、

できれば親の方も楽しんで実験と検証をしたいものだ。

楽しんで…。

運動会のその後〜分離不安は続く〜

運動会が終わった

 

運動会の直前まで別れを渋る様子は続いた。

 

でも、運動会に対する拒否感はあまりなく

跳び箱も頑張って練習していたし

もうすぐ5段が跳べる!と嬉しそうにもしていた。

 

結局長女のメンタルのことも考えて

本番は自信を持って跳べる4段を跳ぼう

と先生が言ってくれたようで、

本人もそれをナチュラルに受け取っているようだった。

 

運動会当日も、スムーズに競技は進み

長女は保育園最後の運動会を終えた。

 

見られるの緊張する〜

とも話していた割には、落ち着いて跳び箱を跳び

他のお遊戯なんかもとても楽しそうにやっていた。

 

ひとつ荷を下ろせた感じなのか、

ケロッとした様子の長女は、特に運動会の感想を多く語ることもなかった。

 

でも、ブリッジがとてもキレイで驚いたよ!

と写真を見せながら伝えると

嬉しそうに穏やかな笑顔を見せてくれた。

 

 

運動会が終わって1週間。

まだ分離不安はあった。

 

登園を嫌がることはないものの、

別れ際になるとスイッチが入ってしまう。

 

みんなのいる部屋に入ろうと思うと

急に尻込みしてしまう。

 

私も最後まで見届けずにもっとサラッと別れればいいのかもしれないが、

そのあたりの塩梅が難しく、心配性のお母さんに見えているかもしれない。笑

 

 

運動会前には、同時並行して習い事のプール教室への行き渋りも発生。

仕事の関係で毎回ばーばが送迎してくれているけど、

朝からプール行きたくないと言い、

プール行きたくないから保育園行かないと。笑

お迎えに来てくれたばーばを蹴って暴れるので連れて行かれず…ということもあった。

 

その後、初めて私が送迎することができたが

その日は到着してから長いことトイレにこもっている間に開始時間を過ぎてしまった。

 

すると時間に遅れたことを気にして入るのを嫌がり、泣いて抵抗。

スタッフの先生も気にかけてくれた。

ゆっくり気持ちを聞いていくと、

〇〇がイヤ と言う。

本当にそれがイヤなの?と聞くと、首を横に振り、わからん と。

 

わからん たぶんそれが正直な気持ちなんだろう。

 

しばらくしてから、自由遊びがイヤだと言うので、

自分でもよくわからんけど、とにかく自由遊びはイヤなことの一つなんだね?

 

と言うとうなずく。

そうか。

 

それをコーチに伝えることにして

ようやく着替えて参加できた。

 

始まってしまえばちょちょくりあってお友達と笑顔ですごす娘。

でも最後の自由遊びは、コーチが本人にも気持ちを確認してくれ

みんなが遊ぶプールサイドで、娘は座って見ていた。

 

自由遊びは、本当にTHE自由で

娘にとっては、誰と何をすればいいか決められず落ち着かないのかもしれない。

 

保育園みたいに特定の仲良しがいれば、楽しみな時間になるのかもしれないけれど

グイグイいけない我が子にとっては心もとないのかな、と想像する。

 

とにかく、コーチに自由遊びがイヤだと伝えて、

それをコーチも無理強いせずに受け入れてくれる

ということが一応体験的にわかり

少しホッとした様子の娘。

 

繊細な長女の気持ちが、割と想像できるからこそ

少し過保護よりになっている自分もいるように思うし、

この子が離れられないのは私のせいか?

と思うこともある。

 

相互作用なのだろうけれど。

 

園でも習い事でも不安を見せ、家の中でもママ、ママだと

なんだか疲れてしまう自分もいて

渦中にいるときっと見えていないものもあるんだろうなーと思いながら

これを書いている。

 

 

先日、晩ごはんのメニューが

鮭のクリーム煮、チンゲン菜と卵のスープ、里芋の煮ころがしで

夫に「今日のメニューすごいな」とつっこまれた。笑

 

和洋中とりそろえました。

 

そやねん、私の頭の中こんな感じ。

 

書くことで、頭と心の整理をしよう。笑